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熊本県南阿蘇村・童謡サロン&パントマイムと法律相談

藤原勇彦(ジャーナリスト)

 2日間に4つの小学校で計4回の公演と法律相談を行い、南阿蘇村内の全5小学校の合計500人近い生徒が、全員参加した。なかには、ひと月前からカレンダーに印をつけて、この日を待っていた特別支援学級の子どももいた。前年の公演の楽しさが、忘れられなかったのだという。
 

 公演に使用する体育館の広さや構造は、学校ごとに微妙に異なっていた。備え付けのピアノには、昭和20年代製という古いものもあり、ピアニストの多久雅三さんが音を出すにも苦労する。そんな困難な条件の中で、学校到着から1時間以内にマイク、スピーカーの調整、パントマイムの舞台設定などを、出演者スタッフ総がかりで準備する。やがて、1年生から6年生まで、全校児童が舞台に想定した体育館の床面を、コの字型に取り囲んで着座する。
 初めは、ざわめきや散漫な空気が流れている。だが、囲みの中心で深川和美さんが歌い始めると、一気にすべての瞳がその方向へ集中する。「じゃんけんわらべ歌」を歌いながら深川さんと児童たちでじゃんけんゲーム。勝ち残りがだんだん絞られてきて、10人以下になる。勝ったら何かいいことがあるかと思うと、「さあ、その人たち前へ出てきてください。虫の声を出してもらいます」。「えっえー」。ずらりと鈴のついた紐、金属の円盤、木の棒…机の上にならべられた様々な打楽器を思い思いに選んで音を出す。「〽あれマツムシが鳴いている。さあマツムシさんお願いします」。初めは戸惑いながら鈴を振る。「チンチロチンチロチンチロリン」。拍手が起こり、おずおずしていた児童たちがだんだん自信を持ってくる。スズムシ、キリギリス、クツワムシ…。進んでゆくうちにすっかり全員の気持ちがほぐれ、そのあと一緒に大きな声で童謡を歌うようになる。
 

 深川さんの歌が数曲続いて、次はパントマイム。室町瞳さんと上海太郎さんが、ぶらんこ、のぼり棒、うんていなど校庭にありそうな遊具で遊ぶ子どもを演ずる。音や声はなくても、何をしている場面かは明瞭に伝わる。うんていから落ちて腰をさするしぐさに爆笑が起こる。室町さんが「前へ出てぶらんこに乗るパントマイムをやってみてください」と児童たちに呼びかけるが、みんなしり込みして逃げ回る。室町さんが強引に先生と児童一人を連れ出す。やらせてみると、案外上手にできる。今度はみんなで、やってみる。体育館中にパントマイムのぶらんこ乗りが広がる。もういちど、上手にできた人、前に出てやってみてくださいと呼びかけると、今度はみんな手をあげて出たがる。しり込みから積極性へ一挙に姿勢転換だ。その後はいよいよ「サイレント・ミュージカル 宇宙からの贈り物」。ストーリー性を持ったパントマイムに合わせて、要所要所でピアノやオペラのアリアが奏でられる。内容は、宇宙からやってきた子犬と少年の交流の物語。他者を思いやること、心を通わせることの意味が、笑いと涙のエピソードを通して表現される。30分近い長編だったが、低学年の児童たちも集中したまま、ずっと演技に引き込まれている。コミカルな場面では大きな笑いが響き、悲しい場面では、ハンカチで涙をぬぐう児童もいた。
 すぐにはじけて反応の良い学校、規律正しく大人しい学校、それぞれの校風の特徴は感じられたが、最後は4会場とも興奮と涙のフィナーレだった。
 

 今回の公演は、何をもたらしたか。主観的な見方にはなるが、その一つは、児童たちが受け取った開放感かもしれない。被災地の子どもたちは、苦労している大人たちを常に見ている。被害の大きかった地域にある小学校では、まだ1割近い児童が仮設住宅から通っている。地元を離れる家庭、逆に避難先から地元に戻ってくる家庭もあり、その都度子どもたちの人間関係にも、なにがしか波紋が起こる。けれどそれらは、大人に言っても仕方のないことであり、それらを抱え込んだまま日常を送っている。だからかどうか、公演中必ず、子どもたちの心と体が開放されてゆくのが手に取るようにわかる瞬間があった。
 楽器をたたいたとき、大きな声で歌ったとき、パントマイムで体を動かしたとき。もちろん演劇を見て笑ったり涙したりしたとき。それは野放図な方向性を持たない開放ではなく、音楽や歌やパントマムという「アート」の文脈に沿った開放感、人の営みを肯定的にとらえる豊かな開放感なのだ。
 「本物を見せていただけることは、子どもたちにとって本当にありがたいことです」。そうおっしゃる先生がいた。学校を代表してお礼の言葉を述べていた6年生の児童は、「卒業してこの公演を見られないと思うと悲しくて…」と感極まって泣き出した。
 

 発災から3年半。阿蘇の山々のあちこちに目立っていた土砂崩れの跡は、少しずつ草が生えて、傷口に薄いかさぶたができるように、薄緑色を取り戻している。しかし、その下にまだ、さまざまな痛みが隠されていることが、うかがえる。ダムや道路のがれきが整理
され切らず、いまだに延延と工事が続いている。近隣の観光名所・地獄谷温泉は、ごく最
近営業を再開したが、取り付け道路がまだ毎日午後6時には閉鎖されるため、宿泊客を迎
え入れることができない。休業の間に借金が3億円以上になったと経営者3兄弟の一人が
嘆いていたという。東海大の学生下宿の多かった黒川では、地区のお母さんたちが東海大
阿蘇キャンパスがなくなった寂しさを、農場実習生の弁当作りで癒しているという。公演
と並行しておこなわれた津久井進・日弁連災害復興支援委員会委員長の法律相談には、地
域の老夫婦が長時間真剣に話し込む姿があったほか、子どもたちも訪問して、易しい憲法
の話を聞いていた。
 

 次の公演に向けて大急ぎで片づけをして学校を辞するとき、本物のぶらんこに乗った子
どもたちが、「ありがとう」「面白かった」「また来てね」などと声をかけてくれた。台
風の雨が心配された空に、偶然見事な虹がかかり、阿蘇山が思いのほか大きな噴煙を噴き
上げていた。